東京地方裁判所 昭和36年(ワ)6899号 判決 1965年12月24日
原告
三田村良一
右訴訟代理人
倉田哲治
右同
安達十郎
被告
鈴木尚
右訴訟代理人
成富安信
右訴訟複代理人
山分栄
右同
向山隆一
被告
東京都
右代表者知事
東龍太郎
右指定代理人東京都事務吏員
四名
主文
原告の各請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
<原告の申立>
「被告らは原告に対し、各自金一〇〇万円およびこれに対する昭和三六年九月一五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言。
<原告の請求原因>
(一) 原告は、昭和三二年八月頃東京都世田谷区砧町一八八番地宅地三二坪五合一勺とその地上の家屋番号一八八番の四木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一一坪三合五勺(以下原告家屋と略称)とを買受けてこれに居住し、被告鈴木は、同じ頃右宅地の南側に隣接する宅地三三坪六合九勺とその地上の家屋番号一八八番の三木造モルタル塗瓦葺平家建居宅一棟建坪一一坪五合(実測建坪約一二坪)(以下被告家屋と略称)を買受けてこれに居住していた。
右両宅地および家屋の位置関係は別紙図面(一)のとおりである。
(二) ところが、被告鈴木は、被告家屋に居住後、次のとおりこれに増築した。
(1) 昭和三三年春頃、階下に約二坪の浴室兼台所を増築別紙図面(一)HKBGを順次に結んだ線内の部分)。
(2) 同三五年一〇月上旬頃、右増築部分の一部および旧家屋部分(別紙図面(一)のABCDEFを順次に結んだ線内の部分)の階上に約一一坪の居室(別紙図面(一)PQTFを順次に結んだ線内の部分)を、さらに階下約一坪の玄関および板の間(別紙図面(一)LMDCを順次に結んだ線内の部分)を増築する工事に着工し、同三六年六月上旬頃これを完成した。
(三) 被告鈴木の右各増築工事は、次のとおり建築基準法に違反している。
(1) 建築基準法(以下建基法と略称)第五五条および第五六条第三項違反
建基法第五五条、第五六条第三項および同法関係法規によると、被告家屋の宅地は住居地域に属し、かつ、第二種空地地区に属している。同地区では、建築物の延べ面積は敷地面積の三〇パーセント以下でなければならないのに、被告家屋の延べ面積は、右各増築により約二六坪三一となり、右制限をはるかに超えるに至つた。
(2) 建基法第五六条第四項違反
同条項によると、本件被告の増築後の家屋のように、第二種空地地区における建築物は、その外壁またはこれにかかる柱の面から敷地境界線までの距離は、政令で定める場合を除き一、五メートル以上でなければならないとされているのに拘らず、なんら右除外事由ある場合に該当しないのに、被告の右家屋の外壁から、その敷地と原告家屋の敷地との境界線までの距離は一、五メートル以上ない。
(3) 建基法第六条違反
被告鈴木は、前記(二)の(2)記載の本件増築工事に着手前に建基法第六条に定める建築物の建築等に関する確認の申請書を所轄建築主事に提出し、その確認を受けなければならないのにこれらの手続を経ることなく工事に着手した。そこで所轄世田谷区役所係員は、同被告に再三右増築工事の停止を警告し、また、東京都首都整備局指導部監察課も口頭または文書で同被告に、再三右工事停止の命令を発し、更に、東京都知事は昭和三六年四月三日同被告に右違反建築部分の除却命令を発したが、同被告はこれらをすべて無視して工事を強行し、同年六月上旬頃遂に右増築工事を完成した。
(四) 原告は、被告鈴木の右のような違法増築行為に因つて、次の損害を蒙つた。
(1) 物的損害
原告家屋の各部屋は、いずれも真南に窓を設けているので、夏は南からよく風が入つて屋内の換気が良く、冬は冬で日照よく晴天の日は暖く殆ど暖房の必要がなかつたのに、被告家屋の前記一の(二)の2の二階増築により、原告家屋は被告家屋の日蔭となり、通風日照共に著しく不良となつた。その結果屋内では、日照不充分のため冬、春、秋を問わず日中でも電灯をつけなければ新聞を読むことができず、また、冷込が厳しく暖房を必要とし、またこれに通風不充分も加わつて従来よりも家屋内の湿気がひどくなり、タンス内の洋服、下駄箱の靴、カメラのレンズ等に黴が生えるようになつた。また、南に面し従来洗濯物の干場として利用していた庭ではの洗濯物の乾きが著しく悪くなり、電熱器の使用度数が著しくかさみ、また、原告の妻は庭いじりを唯一の楽しみとし、庭には四季それぞれの花が咲き乱れていたのが、右庭内にあつた草木についてみても、被告の増築後水仙は葉だけとなり、躑躅は一株が枯れ、沈丁花は四月末になつてもわずか四、五輪の花しかつけず、四季咲のバラも夏場にわずかの花をつけるのみであるという状態で従来よく乾いていた庭面は湿気が著しく「みみず」「なめくじ」が繁殖するようになり、殊に南側板塀は東側坂塀に比較して朽腐が一段著しくなつた。
これがために原告家屋およびその敷地の交換価値は著しく低下し、右違法建築がなかつたならば、それらは、昭和三六年一一月頃においては頗る日照、通風のよい家屋および敷地として合わせて優に金二八〇万円を超える交換価値を有していたのに、右違法建築のために、これがいちじるしく低下し、現に原告が同三九年五月一七日訴外加藤に対して後記の事情によりこれを売却したときには、金一九五万円でしか売却できなかつた。従つて右差額金八五万円は被告の違法増築により原告の蒙つた損害ということになる。
(2) 精神的損害
原告の家族(夫妻と子供一人)は、被告鈴木の右違法増築のため悪化した前記生活環境の下で極めて不快な生活を強いられ、その健康を甚しく害された外、万一火災、地震等の災害が発生した場合には逃げ場にも窮するという不安につきまとわれ、特に、原告の妻はこれに加えて被告家屋二階からのぞき見される不安を感じてノイローゼ症状を呈するに至つた。そこで、原告はやむをえず右環境から逃がれることを決意し、前記のように加藤に売却し他に転居したが、その間原告の精神的に受けた打撃は甚大で、その損害は昭和三六年九月において金五〇万円を下らない。
五 被告東京都の責任
(一) 訴外東京都知事は、前記一の(三)の(2)の記載のように、その発した違反建築部分除却命令に従わない被告鈴木に対し、これが実効を期すために必要な措置、すなわち、窮極的には行政執行法による代執行をなすべきであるのに、右執行は勿論他に何んら実効ある必要措置をとらず、被告鈴木の前記違法増築行為の結果を看過放置したのは違法であり、この不作為による違法は地方公共団体たる被告東京都の公権力の行使にあたる公務員たる訴外東京都知事がなした不法行為というべきであり、原告の蒙つた前記各損害は右訴外東京都知事の不法行為に因つて生じたものということができるから、訴外東京都知事の属する被告東京都は、国家賠償法により原告に対して右損害を賠償する責任がある。
(二) 仮に、右東京都知事の不法行為による損害の賠償について国家賠償法の適用がないとすれば、被告東京都は、民法第四四条により代表者たる右訴外人の不法行為により蒙つた原告の損害を賠償する責任がある。<以下―省略>
理由
一、被告鈴木に対する請求について
(一) 原告が昭和三二年八月頃原告家屋とその敷地とを買受けて爾来これに居住し、一方、被告鈴木は、同じ頃から被告家屋とその敷地とを買受けてそれ以来これに居住していたこと、被告鈴木が被告家屋に昭和三三年春頃原告主張のような増築をし、次で、同三五年一〇月上旬頃原告主張のような増築工事(但し、二階増築部分の坪数は除く)に着工し昭和三六年六月上旬右工事を終えたことは当事者間に争いがない。
(二) 原告は、被告鈴木の右増築工事のため、原告家屋および敷地に対する日照、通風が障害された旨主張するので、判断する。
前記当事者間に争いのない事実と<証拠>によると被告鈴木が、昭和三五年一〇月上旬頃被告家屋に原告主張のような増築工事に着工し、その増築工事後である昭和三七年一二月二二日当時における原告家屋、被告家屋の位置関係、両家屋の構造は別紙図面(二)記載の側面図および平面図のとおりであつて、右工事のうち二階増築の結果、別紙図面<省略>(一)のPQTFを順次に結んだ線内の二階増築部分が、原告家屋および敷地への日照を遮断していること、その程度は、年間を通じて比較的日中における太陽の高さが低く屋内深く日射し易い昭和三七年一二月二二日の日南中高度三〇度五六分の時点において、右増築部分がなければ、被告家屋の日影線は別紙図面(二)の点と点を結んだ直線であつて、この線より南側のみが日陰となつていたのに、右増築のため日影線が右図面、の各点を直線で順次結んだ線に後退したこと、そのため右図面の各点を順次直線で結んだ線内の部分が日陰となり、原告家屋の各部屋の窓が、いずれも真南に設けられ、庭も右家屋の南側にあるために、右家屋の部屋内および庭面への日照は殆ど遮断されるに至つたこと、また、右二階増築の結果その増築前に比較して原告家屋への南方からの通風が悪くなつたことを各認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
しかし、原告主張のように昭和三三年春頃の被告家屋の増築および同三五年一〇月上旬着工の被告家屋の増築のうち前記二階増築を除くその余の部分の増築により、原告家屋およびその庭への日照、通風が遮断されたと認めるに足りる証拠は存しない。
(三) ところで、右日照および通風の障害を生ぜしめた被告鈴木の二階増築工事の違法性の有無について争いがあるので判断する。
建基法は、専ら建てられる個々の建物自体の安全性とか、衛生状態等の確保という立場および都市計画という政策的立場から、これから新らたに建築される建物の敷地、構造設備および用途について種々技術面からの規制を設けて一般的に国民全体の生命、健康および財産の保護を図ることを目的としているものに過ぎないもので、直接に個々の建物所有者乃至建築者相互間の相隣関係におけるその建物建築に伴つて生ずる利害の調整を図つたり、あるいは個々の建物所有者および建築者相互間に建物の建築に伴つて諸種の権利義務の発生することを直接に認めた法律ではなく、むしろこの間の個々の利害の調整は、これを民法所定の相隣関係の法規その他にまかせているものと解するのが相当である。したがつて、原告主張の各法条をもつて原告主張のように隣接家屋から日照、通風を障害されないように当該家屋所有者乃至居住者の利益を直接に保護する規定とは解することのできないのは勿論であつて、右法条に違反したからといつてこの違反のみによつて他の事情を考慮することなく日照、通風の侵害に対する私法上の損害賠償責任を生じさせるにふさわしい違法な侵害があつたと速断することはできない。また、被告鈴木のように建基法違反に基いてなされた特定行政庁の二階増築に対する停止および除却命令に従わなかつたとしても、右にのべた理由によつて、この命令違反の故のみで、当然に右増築が私法上の損害賠償責任を生じさせる違法行為となるものではない。
(四) そこで本件被告鈴木の二階増築工事が、前記建基法違反の事実と相まつて私法上の損害賠償責任を生ぜしめる違法性を充すか否かにつき考えるに、これが判断にあたつては、被害者側の被害の程度、被害を受けるに至つた事情、環境等の諸事情と加害者側の加害行為の内害、程度、社会的評価、加害行為をなすに至つた事情、環境、加害者に加害の意思があつたか否か等の諸事情を比較検討すべきであるがまず、被告鈴木側の事情としては、前掲検証の結果によると、被告鈴木が二階増築をしたため被告家屋が、その構造規模からみて非常識なものとなつたことは認められないことおよび右家屋附近には住宅が立ち並び、この地域における敷地の利用状況からして被告鈴木の右程度の二階増築は被告家屋およびその敷地の所有者として、特段の事情のない限り当然に許された範囲に属すると認めることができる。しかるに全証拠によるも、被告鈴木の右増築が民法の相隣規定によつて保護されている日照通風に関する原告の権利を侵害したとか、また被告鈴木において、必要もないのに原告を害する意思で右増築をなした等右増築が道義的に非難を受ける特段な事情を認めるに足りる証拠はない。
これに対する原告側の事情は、前記一の(二)の事実からして原告家屋の通風障害の程度は、極めて軽微であつて、これを特に考慮にいれなければならないとの事情も認められないので、日照障害の程度について考えるに、右障害の結果原告家屋の居住者が、健康衛生上に多少の影響を受け、精神的にも多少の苦痛を強いられることは否定できない。しかし、それだからといつて、前掲検証の結果および甲第一号証からして、原告家屋がその附近の状況からみて、同地域において住宅としての価値の大半を失うに至つたことは認められないし、しかも、右検証および原告本人尋問の結果によると、原、被告家屋は同時期に同一建売業者によつて建築されたもので、竣工当初から両家庭は別紙図面(二)記載のような位置関係にあつたから、原告家屋としては、真南に被告家屋があることからして日照通風に影響を受けるべき立場にあつたことおよび原告は、原、被告家屋のいずれでも買受けることができたのに両家屋を比較して特に原告家屋を選んで買受け、その後被告鈴木が残された被告家屋を買受けたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。以上の事情下においては、未だ、被告鈴木に対し、右敷地の利用を否定して、特に原告を保護しなければならない段階にあるものとは考えられないから、右程度の日照通風の障害は、原告として被告鈴木の相隣者として当然受忍すべき範囲に属すると解するのが相当である。
したがつて、被告鈴木の右二階増築は、前記建基法違反の点を考慮に入れても私法上の損害賠償責任を生じさせる行為とするには充分でない。それ故に、原告の被告鈴木に対する請求はその余の点につき判断するまでもなく失当である。
二、被告東京都に対する請求
(一) 被告鈴木が、被告家屋に原告主張のような各増築工事をなしたこと(但し、二階増築の床面積は一〇、二五坪であると被告東京都は主張する)、右増築が建基法第五五条、第五六条第三項および第四項、第六条に違反していること、訴外東京都知事が、右違反増築部分に対し除却命令を発したが、被告鈴木が右命令を履行しなかつたこと、その後右知事は、右違反増築に対し何んらの措置も講じなかつたことは当事者間に争いがない。
(二) ところが、原告の主張によると、原告家屋は右増築のため日照、通風の障害を受けているが、訴外東京都知事は、右増築の除却命令の実効を期するために行政代執行法により必要な措置をとらなければならないのに拘らずこれをなさないから、原告に対して不作為による不法行為の責任を負うべきであるというので考えるに、右争いのない事実によると、被告鈴木が、右知事のなした建基法第九条第一項に基く除却命令を履行しないのであるから、右知事は右鈴木の不履行を放置することが著しく公益に反すると認められる場合には、行政代執行法により所定の手続を経て、自から若しくは第三者をして、右増築を強制除却させることができる。しかし右知事の行政代執行法に基く強制権限は知事の行政上の義務ということはできても、原告個人に対する私法上の義務と解することはできないから、仮に、右知事の強制除却がなされ、その結果原告の家屋に対する日照通風の障害が除かれることがあつたとしても、原告が右知事に対し、これを要求し得る筋合のものではない。
したがつて、原告の被告東京都に対する請求は、知事の原告に対する私法上の代執行義務の存在を前提とするものであるから、その余の点につき判断するまでもなく失当である。
三、よつて原告の被告らに対する請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(安藤覚 森川憲明 山口和男)